演劇が好きで
会社勤めしながらやってた時期を経て
会社を辞めた反動で
東京に行ってダンスに歌にと頑張った
けれど「好き」だけで
やっていけなくなった、、
自分自身にどうやっても自信がもてなかった。
自分が嫌いなのだからw
仕方ないよね。
そんな時期にヨガに出会い
夢中でのめり込んで
これを地元でやろう!
なんて決意して
自宅近くの公民館でヨガ教室を始めて
軌道に乗らない数年間を経て
頑張ってヨガスタジオにした。
たくさんの人たちとの
笑顔やヨガを通して
エネルギーがまわり
「経験」という財産が生まれた。
TTC(ヨガ指導者養成講座)の
同期の人たちが
RYT200時間の
ヨガの資格取得ができる講座を
スタートさせる人が増えた時期、
わたしは
「プロとしてのヨガインストラクター」を
育てることを選んだ。
「プロとして」というのは、
「お金をヨガだけで稼ぐことができること」と
「ヨガを通して人生を導くことができること」
(ヨガインストラクターなので)
この2つの両立だと、捉えていたし
そんな自分自身に誇りをもっていた。
(今思えば、頑固で小さなプライドか、、苦笑)
スタジオの運営・子供が増える・田舎暮らし
これらが平行する時期でもあり
めまぐるしく過ぎることとなった。
自分のアサナの練習なんてできるはずもないw
疲弊する日々笑
がんばっちゃう性格なのよねぇw
同時に人とのやりとりが
うまくいかないことも出てきた。
これは自分を苦しめ、
終いには絶望するまでに陥った。
「ヨガをやっているのに、どうして争いがなくならないの?」
「ヨガ哲学が言っているのは嘘?」
、、この嘆きは、
わたしを突き動かす
原動力の源になった。
「何故だ!!」
そんな時期に
非暴力コミュニケーション(NVC)に出逢った。
必死で学び実践した。
これを実践すればするほど
自分の内側の癒しが起こり始めた。
感情を取り扱うせいからだろうか、、
内側の癒しのスピードが速いように感じた。
争いがなくならなかったのは
わたしの心の中が産みだした現象だった。 .
世界を飛び回る実業家や
タイの僧侶ティックナットハン師の
いる村へ毎年足を運ぶ人
大学の教授やダンサー、瞑想家、、
ユニークな人との出逢いも
キラキラとしたNVCの世界へ
足を踏み入れた感じもあった。
心が軽くなって悦ぶ経験を積み重ねる度に
子育てもめっちゃ楽しくなってったw
同時に自分の内側を見ることで
わたしを愛せるようになっていることに気づいた。
『自分の内側の調和をもっともっと育んでいきたい』
『自分のことを知りたい』
そう思うようになってった。
こうしてNVCは
わたしにとって外せない道具となった。
整体をやるのは両親の最期を目の当たりにしたから。
病に倒れた姿をみて
カラダのケアと食べ物の重要さを痛感した。
わたしが難易度の高いアサナを
やらないのはこの理由もある。
最期が近いと解っている者の
生への執着を持つ姿
ハワイ島に家族で行った時に出会った
余命宣告を過ぎた人の
最期の最期まで自分と向き合いながらも
マラソンまで達成し生きる姿を見たこともある。
最期にその人の生き様がでるのだなと痛感した。
わたしが選んだ整体/快医学は難しくない。
とてもシンプルで
誰もができる。
整体の先生もそう言っている。
や、熟練度は関係するけどね。
(やらないと使い物にならないのは何でも通じる笑)
どれもが必要に応じて夢中でやってきたもの。
ヨガ+快医学整体+NVC
=菜の花YOGAメソッドは
こうやってうまれました。
「これからどうしたらいいかわからない」
人生のシーンでそんな状況に出逢うことがある。
もう頑張らなくていいよ。
諦めなくていい。
笑いたい時に笑えるようになるまで
そのままでいていい。
あなたのそのままを
丁寧に見てあげるだけで
あなたは悦びの中に
いることができるから。
人生の彩りを自分で描けるようになるまで
一緒にヨガりましょう✳︎
